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元巨人河野投手居酒屋オープンの影に愛妻の死 

長嶋監督が「げんちゃん」と看板揮毫



プロ野球・巨人などで中継ぎ投手などとして活躍した、河野博文さんが、群馬県高崎市で「居酒屋 大喜屋げんちゃん」を開業。看板は、巨人時代に指導を受けた長嶋茂雄名誉監督が揮毫。昼はうどん、夜は居酒屋。自家栽培の無農薬タマネギを提供するなど、地元で話題となっているようです。がんで最愛の妻を失った悲しみを乗り越えての船出となりました。

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中継ぎ投手として巨人優勝に貢献



河野さんは高知県出身。高校野球の名門、明徳義塾から駒澤大学をへて、日本ハムにドラフト1位で入団。先発、リリーフ投手として活躍し1988年には最優秀防御率のタイトルも獲得しています。

巨人へはフリーエージェント(FA)権を行使して入団。主に救援投手として活躍しました。とくに移籍1年目の1996年には、39試合に登板。6勝3セーブの好成績でリーグ優勝に貢献しています。ニックネームは「げんちゃん」。在籍当時の長嶋監督は投手交代の際も、審判に「げんちゃん」と告げていたのだとか。

現役引退後は独立リーグコーチに



ところが、その後は若手の台頭もあり、出番が激減。
巨人を自由契約となった後は、千葉ロッテへ移籍。しかしながら全盛期の投球を取り戻せないまま、2000年に引退しました。

独立リーグ・群馬ダイヤモンドペガサスのコーチに就任したのをきっかけに、群馬県に移り住みました。家族を自宅のある川崎市に残しての単身赴任だったといいます。

妻にがん発覚。41歳の若さで逝く



河野さんが群馬でコーチとして指導に励む一方、妻の広子さんに悲劇が襲います。
単身赴任を始める3年前に乳がんを発症。抗がん剤治療を続けていましたが、腎臓にも転移していたそう。

病室に駆けつけた河野さんを待っていたのは、主治医からの「長くはない」という無常の告知。入院から2週間、広子さんは41歳の若さで生涯を閉じました。

栄養気にかけてくれた妻のため無農薬栽培



河野さんが農業を始めたのは、元西武の外野手、駒崎幸一さんに進められたのがきっかけ。
そして、現役生活でも入院中も、妻の広子さんが河野さんの食生活を気にかけていてくれたからだそうです。

河野さんは、タマネギ農家を手伝いながら、栽培のノウハウを習得。
農場を借り入れて、畑を拡大し、畑は4ヘクタールに。タマネギ150トンを栽培するまでに成長しました。

無農薬の有機栽培で、甘みがあるのが特徴とか。
農業の一方で、自家栽培のタマネギを使った餃子などの食品加工会社「げんちゃん」を設立。食品業にも本格参入していたのです。

昼はうどん。夜は居酒屋。自慢のタマネギ提供



もともと、居酒屋を開業する前は、うどん店「大喜屋」を営んでいた河野さん。
昼間はうどん店でタマネギを使った6種類のカレーうどんを提供。夜の居酒屋でもオニオンリングやタマネギスライスなど、自慢の農産物をふんだんに使った料理が並ぶといいます。

プロ野球選手が引退後に飲食店を始めるケースは少なくありません。それでも、自家製の野菜を出す店というのはユニーク。

引退後に奥さんを亡くした河野さん。
悲しみを乗り越えての居酒屋オープンとなりました。近くに立ち寄った際は、自家製のタマネギを味わいに訪れてみては。

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